魔法のみず   + Scene 12 +




「いらっしゃいませ…」

週末を前に混みあった店内。
ぱたぱたと歩き回るバイトたちの合間を縫って新たな来店者に挨拶を。

目の前にはいつもながら何を考えているのか分からない表情に乏しい仏頂面の緑頭。
しかしながら脇に立つのは、暗い店内にも鮮やかなオレンジの髪が印象的な溌溂とした美しいレディ。

ここ最近は一人でやって来ては下手な口説きを繰り返していた男が。


──何だ…。


どこか奥の方に小さく痛みを感じたがそれが何かを深く追求することはせず。


なにやらこそこそと遣り取りしている二人席に案内する。
女性と二人連れならボックス席のほうがいいかと思ったが、生憎、満席。
仕方ない、空いたら移って貰えばいいかとカウンターに案内した。


ゾロはメニューは見ないだろうが彼女には必要かと一応、一つ手渡して。
そう言えば一番最初に来た時も確か女性連れだったんだよな。と、思い返していた。

「お任せでお願いするわ」
「はい」

中を開く事もせず返されたメニューを受け取り、にこやかに応対する。
ゾロはどうするのかと、目線をそちらに向けたが、ゾロが口を開くより早く。

「あぁ、ゾロのも貴方が作って」
「…おい、ナミ」
「いいから」

ナミ、と呼ばれた女性。どうやらゾロとはかなり親しい間柄のようだ。
どこか腑に落ちない物を感じつつも、そこは鍛え上げられたサービス精神。
口元から微笑が消えることは無い。

「あのね、えーとお名前は?」
「サンジです、レディ。以後お見知りおきを」
「私達それぞれを見て、サンジくんの思ったこと。を、お願い」

悪戯っぽく笑んだ表情はまさしく小悪魔めいていて。
無理難題を吹っ掛けられていると言うのに、余りに可愛らしくてサンジの浮かべる微笑は濃くなった。




彼女の前にはカクテルグラスに注がれた黄色のカクテル。
彼女の髪ほどではないが少しオレンジ味の強い色も合わせて爽やかさを。

ゾロの前には。
同じように黄色にも見えるがこちらは薄い琥珀色。
金にも見えるそれは目の色にも合わせて。

二人からの無言の問いかけに、それぞれのカクテルの名前をそれぞれに向き直って。

「ハリケーン」

そして。

「アースクェイク」

意味も問いたげな表情だが。そこは、浮かべた微笑だけでスルーして。
好きなように取って貰って構わない。


──まぁ、店じゃなけりゃメロメロだけどなー。


そう、恋のハリケーンに巻き込まれたように。
同じように何かと動揺させるゾロには“地震”で。

手元のカクテルを見詰め何やら難しい顔の二人に“ごゆっくり”と、告げサンジはカウンターを離れた。


+++++


他の客達の注文をこなしつつウエイターもしつつ。
そろそろ、カウンターに戻ろうとした時。

入り口のドアが乱暴に音を立てて開かれる。
面倒臭い客でも来たかとそちらに目をやれば。

「サンジー!メシーーーっ!」

脳天気な大声が店内に響き渡った。
ある意味面倒臭い客に変わりは無いが。
全ての客からの視線を浴びサンジは慌てて早足で駆け寄る。

「…アホ!ちょっと静かにしろ!」
「んあー?おお!悪ィ悪ィ!」

ちっとも悪いと思ってはいなさそうな男の二の腕を引っ掴んでカウンターに座らせる。
にやにや笑いながらカウンター内に戻ってきたエースも一緒に捕まえて。

「てめェの弟だろうがよ!ちゃんと躾けろ!」
「やー、ムリでしょ」
「よ!エース、久し振り!」

三者三様。全く会話は成立しない。
ふぅ、と小さく溜め息を零し騒がしい兄弟のうちの弟の方に声を掛ける。

「そう言えば…長らく見なかったよな?どこ行ってたんだ?ルフィ」
「んー?何かジャングルいっぱいのとこだ!面白かったぞ!」
「…へぇ…」

スポーツとしての柔道だけでは納まらなかった彼は、確か異種格闘技戦だとか、総合格闘家だとかを目指していたはず。
定職に着かずふらふらと全世界を飛び回っているのは兄と同じだが。
こちらは旅行記のような文とも言えないような物が雑誌に載せられ意外と人気だと聞く。
直接話を聞いてもどこに行っていたか掴めないのに。
世間はよく分からない、と、思う。

「あ、そだ。ゾロ!」

エースがカウンターでこちらの遣り取りを呆気に取られたように眺めていたゾロに声を掛ける。
名前を呼ばれてはっとしたようにエースに顔を向けているが、その遣り取りにナミは更に不思議そうな顔になった。

「コイツだよ。前言ってた俺の弟ー。どっかで会ってんじゃねェ?」
「あー?」
「モンキー・D・ルフィってんだけど」
「あー…あぁ…名前は知ってるな」

間に挟まれたナミは何だか話の内容についていけずに不満顔で両隣を交互に見ている。
エースもそれに気付いたらしくサンジには厨房に行くように促し自分がカウンターに入って三人の相手をし始めた。
エースなら問題は無かろうと、とりあえず何か食わせないといつまでも煩く言い続けるだろうルフィの為に調理するべくサンジは奥へと足を向けた。


+++++


「お待ちどう…って、あれ?」

馬鹿でかいオムライスと大盛りのペペロンチーノ。
二つの皿を持って戻ってきたがカウンターにルフィの姿はなく。
何故か一人でグラスを傾けているゾロだけが残っていた。

“??”と、首を傾げているサンジからスッと皿を奪って行ったのはエース。
その、行き先を眺めていればボックス席にルフィとナミが居た。
しかも何やら楽しげだ。会話も弾んでいるように見える。
あのルフィの破天荒な会話について行ける女性を見たのは久し振りかもしれない。


──いやいや。ちょっと待て、俺。


微笑ましく見てる場合じゃなかった。立ち止まったままだった状態から我に返りカウンター内へ。
戻ってきたサンジを認め小さな、ほんの微かな微笑を漏らしたゾロの前に立つ。

「おい、お前ェの彼女。取られてるけどいいのかよ?」
「あ?」
「や、だから彼女」

何の事か本気で分からなかったらしい。
とんでもなく呆気に取られたような間抜けな表情でこちらを見返し、一瞬後にはもの凄く凶悪な顔になった。

「あの女は俺の彼女なんかじゃねェぞ?縁起でもねェ事言うな…」
「へ?」

本気で嫌そうだ。
ロックグラスに残っていた酒を一気に呷り、絞り出すように言われた言葉に今度はサンジが呆気に取られる番だった。

「ふーん」

何となく口からついて出た一言にゾロは何か言いたげだったが。
それは無視してゾロのグラスを取り新しい物を作る。


──なんだ…彼女じゃなかったんだ。


ゾロが嘘を、しかもこんな事で嘘を吐くとは思えないから。
きっと、本当にそうなのだろう。
それを知った時、何故だかホッとした事や嬉しさを感じた事はサンジを戸惑わせるものではなく。
どこかで、分かってはいたが認められていなかった想い。

そろそろ、その感情と向き合う時が来たのかもしれないと微笑みと共に小さな溜め息を零した。



+++++



ナミがそれからゾロの隣に戻って来る事はなく。
ゾロもそれを気にしている様子でもない。
むしろ、それを喜んでいる風でもあった。


閉店時間も押し迫り、客もまばらになった店内。
何人か居たバイトは帰らせて、今は従業員はサンジとエースだけだ。

カウンターに座っている客も今はゾロのみで。



最後に一杯飲んでいくか?と問えば躊躇なく頷いたゾロに柔らかな笑みで頷き返し。

カクテルを二つ。

「お前にはコレ、で、俺はこっち」
小さく片眉を上げカクテルの名前を目線と表情で尋ねられる。

「ブルー・デビル」

自分の手元に置いた青いカクテル。その名を先に告げ。
次いでゾロが持ち上げたグラスを満たすカクテルの名を囁いた。
僅かにカウンターから身を乗り出し他の誰にも聞き取れないくらいの距離で。

「シルバー・ブレット」

悪魔退治に有効なただ一つの手立て。


銀の弾丸の名を告げた。


continue


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