魔法のみず   + Scene 11 +




机の上の電話が鳴っていた。
灯りは社内電話だと告げている。
液晶に映る部署名を見て、ゾロはげんなりとした。

しばらく待っても鳴りやまない受話器をのんびりと耳に近づけた時、大きな罵声が轟いた。

「早く出なさいよーーー!」

再び受話器を身体から一番遠くへと引き離した。
まだ何やら叫び声が聞こえている。
切ってしまいたい気持ちは山々だったが、これをまた切ったところで、いい事態が訪れるとは思えない。
ゾロは諦めて電話に出た。

「うるせえ」
「うるせぇとは何よ!
 人が忙しい合間みて電話かけてやってるのに、随分じゃないの!!」
「何の用だ」
「相変わらず愛想がない奴よねぇ〜。
 ウソップが吐いたわよ!
 あんた狙ってる子がいるらしいじゃないの」
「ウソップのやろう…」
「なによ! 私にそんな美味しい話を秘密にして…。
 あの秘書課の子、振ってまでご執心らしいわね」
「お前にゃ関係ねえ」
「そーんなこと言っていいのかしら?
 なんでも苦戦してるらしいじゃないの?
 このナミさんに任せてみたら?
 いい知恵、貸してあげるわよ?」
「金とるんだろう?
 誰がてめえに相談するか」
「そうねー、私も悪魔じゃないんだから、安くしといてあげるわよ」
「お前の知恵が通る相手じゃねえ」
「あーら、百戦錬磨のナミさんを甘く見るもんじゃないわよ。
 あんたがバーでカクテル使って口説くなんて面白そうなもんに、参加しないわけないじゃない?
 いいから、黙って私の言う通りにしてみなさいよ」
「お前、ウソップから何聞いたんだ?」
「ゾロが珍しくバーで口説いてるって」
「それだけか?」
「それだけよ?
 他に何かあるの?
 隠してるなら、早く白状しなさいよ!」

どうやらウソップはナミに問われるままに答えただけらしい。
この曖昧な状況で何をナミに相談しろというのか…。

「私さ、ちょっとカクテル囓ったことあるのよ。
 それも試してみたいしね…」
ナミはゾロ、ウソップと共に会社の同期入社で、何故か新入社員教育の頃から馬が合い、何かと連んできた仲間だった。
女だてらに気丈夫で、ゾロと互角に張り合う程の酒呑みでもあり、女性としてより同性同士のような付き合いのできる、ゾロにとって気を遣わない女性の一人でもあった。
金勘定に煩いのが欠点(とゾロとウソップは常々思っていた)で、何かにつけて面倒を見るフリをして金を要求してくる、あまり深い付き合いはしたくない存在でもあった。
久しぶりに寄越した電話は、やはりゾロの窮地を救うとは建前で、きっとまた金をたかるのであろうとゾロは早く電話を切ってしまいたかった。

「ねぇ、『イヴズ・アップル』って使ってみた?」
「あ?」
聞く気のなかったゾロが姿勢を直して受話器を耳に強く当てた。
「禁断の実よ。
 これを口にして一緒に堕ちようって…。
 あんたじゃちょっと似合わないかしらね」
「あとは?」
「ふふふ。
 聞く気になってきたようね。
 じゃ、教えなさいよ。
 どんな感じの娘(こ)なのよ」
「…飯が旨い」
「あんたねー。
 ま、仕方ないか。
 私は容姿を聞きたかったの…」

すっかりナミのペースに乗ってしまったゾロは、それからたっぷりとカクテルの蘊蓄付きの作戦を与えられ、代わりに高価なブランドものを要求されてしまったのだった…。



ナミへの報酬はちと痛むところもあったが、ゾロとしては次の手を与えて貰ったことを素直に喜んだ。
前回、ウソップと会ってしまったあの時の感触はなかなかに良かったのでは…と思い出すたびに口元が緩んでしまう。
ナミの知識を拝借し、今度こそ決定打が欲しかった。


……そして、日を置かずあの男の元へ…。



確かにナミの思惑通り、ゾロの気持ちは伝わったのだと思う。

しかし、それに返されたカクテルは

『できない相談』…だった。



もとからゾロにこんな小細工めいた遣り取りが続くわけがないのだ。
ナミの力を借りたとて、所詮借り物の力。
相手をどうこうできるなど軽く考えていたのかもしれない。

先刻までの浮ついた気分もすっかり萎え、差し出されたカクテルを一息に飲み干すと、ゾロは店を後にした。





しばらくゾロの毎日には別段変化はないように思われた。
感情が表に出ない質であったから、普段からそう代わり映えのしない顔色であった。
いつものように仕事をし、そして時間がくると退社する。
あまりに代わらない様子に周りの誰一人ゾロが落ち込んでいるとは気づかず、時間だけが流れていった。


ある昼休み――。

「なんか辛気くさいわねぇ」
がちゃんとトレーを置きながら、目の前にナミが現れた。
「なによー。
 そんなあからさまに嫌な顔して…」
「なんでお前がここにいるんだ」
「自分の会社でランチとっちゃ悪い?」
「出戻りか?」
「んま〜〜!
 人聞きの悪い言い方しないでよ!!
 今日は、会議でちょっと戻っただけじゃない。
 お昼とったら、すぐに出向先へ戻るわよ。
 それより、人が心配してやってるのに相変わらず憎たらしい奴ね」
「お前に心配されんのはごめんだ」
「まったく…。
 で? 私の言った通りに口説いたんでしょうねぇ?
 どうだったのよ」
「どうもこうもねえ。
 お前でどうにかなる相手じゃねえって言っただろ」
「はっ! 振られたのね?
 いい気味だわ…と言いたいところだけど、私の知識でも駄目だったってのが気に入らないわ…」

結局ゾロはナミに先日の遣り取り全てを白状させられてしまった。
目の前の皿をつつきながら、なにやら考え込んでいたナミだったが、急にゾロに厳しい視線を向けると言い放った。

「わかった。
 出張サービスが必要みたいね。
 特別料金にしといてあげる。
 私のスケジュール調整したら連絡するから」
「って、何勝手に言ってんだ!」
「なんか、燃えてきたわ〜。
 ゾロ、絶対その子ものにしてあげるわよ!」
「ちょっと待て」
「さあ〜、忙しくなってきたわー!
 早く戻って仕事片づけてないと…」

ナミはゾロの話などにはもう耳も貸さず、トレーを片手に立ち上がると、脇目もふらず食堂から出て行ってしまった。
呼び止める間もなかった。
ナミが何を考えついたのかよく分からなかったが、ゾロにとってよくないことであるのは経験上間違いなかった。
不安は残ったが、ナミが去りゾロはまた改めて先日の悲劇を思い出していた。

迷惑な気持ちを与えているなら己の気持ちを曲げなければいけないのか…。

いつものゾロであれば、こんなに相手を思う心など持つことはなかった。
闇雲に突進し、玉砕する。
ことサンジに関しては、自分自身があまりに普通でない反応をすることに追いつくことが出来ていない。

たった一つの言葉で簡単に浮上し、たった一杯の酒で落とされる。

それでも確かなことは、いつまでもサンジの笑顔を見ていたい…ということだった。



それからきっちり1週間後。
予告通りナミから連絡があり、どうしてかゾロはナミと並んでサンジの店の入り口にいた。
「お前を連れて行く意味がわかんねえ」
「いいから!
 今日は特別、出来高払いでいいって言ってんでしょ。
 あり得ない話だけど、もし、私でもどうにもできなかったら…」
「んだよ」
「諦めるしかないわね」
「って、お前は…」
「はいはい。じゃ、入るわよ!」

「「いらっしゃいませ〜」」
ウィークエンドの前日ということもあり、店はいつになく混んでいた。
そのため、バイトもフル出勤のようで、エースの他にも数人の従業員の姿があった。

「ね、どの子なの?」
この店の従業員ということしか聞いていないナミは店内を不躾に見渡し、ゾロに耳打ちした。


エントランスできょろきょろ見渡す二人の前に、奥から優雅な身のこなしで現れたサンジが大げさな身振りで挨拶をした。

「いらっしゃいませ…」

「あ、どうも…」
「ナミ」
「え?」
「こいつだ」


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