魔法のみず   + Scene 4 +




週末の夜。

飲食関係、レジャー産業は多分どこもかしこも忙しいだろう。
サンジの店も例に漏れず忙しい夜だった。

「サンジ、ボックス3番さんオ−ダー」
「分かった、何?」
「お任せで、2つだ」
「了解」

一瞬その席をチラリと確認してからカクテルを作り始める。
合コンなのかなんなのかこういうバーには少し珍しい割と騒がしいグループだ。
どこまで妙な噂が出回っているのかとちょっとサンジは憂う。

そうこうしている間に客が引き始めた。
殆どがカップルで占められていた店内は、上手く行ったのかそうでは無いのかサンジには分からないが、とにかく場所を移す事にしたようだ。
皆、示し合わせたかのように一斉に帰り支度を始めた。





+++++





「サンジ〜、俺、飲んでいい?」
「ん?あぁ、ま、もう客も居ねェし。いいぜ?」

声を掛けて来たのは今日ホールを任せていたバイト。
名前をエースと言う。
サンジより歳は1つ上だが古くからの友人だ。定職につくのが向いていない男なのでいつもフラフラしているがサンジが頼めば忙しい時はバイトとして手伝ってくれる。
何をやらせてもソツなくこなすし、女性にも受けはいい。男相手にだって愛想はいいから助かっている。


まだ、閉店の時間には少し間があるが一気に客が引いたせいで閑散とした店内。
先程までの喧騒が嘘の様に静かだ。
エースは酒に強く、飲んでも顔に出ない性質なのでこうやって暇な時間なら営業中でも飲む事を許していた。

「ん〜、じゃあ、サンジ振ってよ?」
「あ?俺ァ忙しい」
「洗いもん代わるからさぁ〜」
「しょうがねェな、何が飲みたい?」
「ん〜、ジンベースで」
「分かった」

今日は近来稀に見る忙しさだった。そのねぎらいも兼ねたい所だが。

サンジがすっと出したカクテルグラス。
洗い物を済ませ表に回り、立ったままでカウンターに凭れ待っていたエースはそのカクテルグラスに注がれたオレンジ色を見、小さく苦笑いした。

「サンジ〜。何でだよ?俺、今日いっぱい働いたと思うんだけど?」
「まーな」

出されたカクテルは フォールン・エンジェル(Fallen Angel) 、堕天使だ。
店内にいる全ての人間に目を配る癖がついているサンジには見えていた。
エースがあちこちでそれこそ、男連れでも構わず口説きに入っていたのを。

邪気の無い明るい笑顔と、人当たりの良さがそうさせるのかエースは良くモテる。
本人も、来るもの拒まずと公言しているせいかそういう誘いには事欠かないようで。
だが、そんな反面執着心はあまり無いようで良く修羅場になっているのも長い付き合いだから知っている。


──その笑顔に騙されるんだよな、きっと。


サンジはそう思って、嫌味を若干籠めてこのカクテルを作ったのだった。
しかしエースは一筋縄ではいかない。

「サンジ〜、俺が幾ら天使みたいにカッコいいからって誘惑しないでくれる?」
「……あのな…」

エースはこのカクテルを飲んだ天使が誘惑に駆られて堕天したと言うエピソードの方を取ったらしい。
どこまでが本気か分からないが。
脱力してエースを睨んだサンジにちょっと苦笑いして手をひらひらと動かす。

「ウソウソ、分かってるって。お客さんに手を出すのはやめます」
「や、別にどうでもいいけどな」
「俺が堕としてちゃサンジの店のジンクス崩れるもんね」

それこそ、本当にどうだっていい。
ジンクスに頼らないと彼女の一人も出来ないような男達の事なんて。

「そんなのは、どうでもいい」

サンジが言いたいのは。
エース自身がこのカクテルのようだと言う事。
天使であるレディ達を誘惑して地に突き落とす。
本気なら構わないのだが、体よく遊ばれては可哀想だと思っただけなのだが。
しかし、昔からその事について女性崇拝者のサンジが何度、説教しようがのらりくらりとかわされて来たのだ。
サンジは小さく溜め息を零した。
そんなサンジをどう思ったのか知らないがカクテルグラスをあっという間に乾してエースがカウンター内に入ってきた。

「ん〜、じゃあお疲れのサンジに次は俺が振ってあげるよ」

別に仕事で疲れていた訳ではない。
お前が疲れさせたんだけどな、と言うサンジの小さなぼやきには耳も貸さない。

「任せてくれる?」
「…あぁ、頼むぜ?」
「了解。サンジがその気になるようなヤツ作ってやるよ」

何とも人の悪い笑みを口の端に載せ、そんな事を言う。
サンジがその真意を聞こうとした時、店のドアが勢いよく開いた。




「…いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ〜」




入って来た男にサンジは見覚えがあった。緑色の髪が印象的な男。
確か、前は女の子連れだったはず。しかも他にも連れが居たような記憶があった。
一人な訳はないだろうと、誰かが続いて入って来るのかとドアに目をやるが、そんな気配は無い。
それなら、と思いついた可能性をサンジは男に尋ねてみた。

「…待ち合わせですか?」
「いや、一人だ」

確かこの間は、何故か怒っていたはずだ。
彼女とも上手く行ったはずで、サンジが手を出したわけでもないのに。
だから、店自体が気に入らなかったのだろうとサンジは冷静に分析していた。
もう、二度と来る事は無いだろう。たとえ、ここが気に入っている友人が誘ったとしても。
そう、思っていた。

なのに今日は一人でやって来た。

──なんなんだ?大体、気分悪ィのはこっちだっての。また、文句でも付けに来たのかよ?

最後に胸倉を掴まれた事などを思い出しサンジが内心ムカムカしているのにも気付かず、男は店内をぐるっと見回している。
エースに目が留まった時、やや意外そうに瞠目した。

エースが男にお絞りとメニューを渡す。
メニューに目を通す事無くその前にあったカクテルグラスに目を留めた。
それはエースが今サンジに作ろうとしていた物で。

「…これは?」
「あ、すんません。お客さんが居なかったんで俺らが飲もうとしてたんですよ〜」
「ああ、なら飲んでてくれていいぞ?」
「すいませんねェ〜」

エースにこれからもバイトを頼むならもう少し言葉遣いもきちんと教育した方がいいかもしれないな。そのフランクさがエースの魅力でもあるのだが。などと、サンジは考えながら目の前の男に確認を取る。

「…よろしいのですか?」
「ああ、構わねェ」
「すみません、では一杯だけ失礼します」

男が頷くのを確認してからエースに目で合図した。
それを見ていたのかどうかすぐさまエースが作り始めた。何を作るかは決まっていたようだ。
氷を入れたミキシンググラスに材料を入れ、バースプーンでステアする。

ドライ・ジン、チェリー・ブランデー、ドライ・ベルモットがそれぞれ同量。
カクテルグラスに注がれたそれはサンジの店の蒼い照明の中でも美しい赤を湛えていた。

「キス・イン・ザ・ダークです」

知ってるッつうの。と思いつつ、エースを一睨み。
その唇の端に浮かべた小さな笑みさえ忌々しい。
エースは何を考えてかサンジを相手にまるで女を口説くようなカクテルを作る。しょっちゅうだ。

──俺を、練習台にすんなっつぅんだ。

客も居る事だし、いつもの様に悪態を付くわけにも行かない。
その客も興味深そうにその遣り取りを眺めている。
仕方なく、一睨みした目に力を籠めてもう一度睨んでからサンジはカクテルグラスに手を伸ばした。
ショートだしゆっくり味わうカクテルでもない。
くいっと一気にグラスを傾けたサンジを、何故か二対の目が見守っていた。

「…失礼しました」
「あ、いや」
「…ご注文は?」

サンジが飲んでいる間にエースが聞くかと思っていたのだが、そうしなかったので改めて聞く。
確かこの間は一杯目はカクテル、次からはバーボンだったはずだ。
男に関しては全く働かない記憶力を総動員して思い出す。
大体この男を覚えていたのも奇跡的だ。最後に胸倉を掴まれたりしなければ覚えていなかったに違いない。

「任せる」
「…カクテル、で?」
「ああ」

これは意外だった。確かカクテルはあまり好きそうな感じじゃなかったように思うのだが。
しかし、客がそう言っている物に反論する訳にも行かずサンジはシェーカーを手に取った。





「フォグ・カッター、です」

酒好きには多少物足りないだろう酸味や甘味の強いカクテル。
細身のタンブラーに注がれたオレンジ味の強い、黄色。

意味はそのまま。
霧や混乱。それを晴れさせてくれる物、といった意味だろうか。


堂々とした態度の裏に隠された何か迷ったような瞳の色。
サンジはこの男が入って来た時に感じた第一印象そのままにカクテルを作った。

何となくだが。
この男にはそんな頼りない瞳の色は似合わない気がしたから。


──モヤモヤしてるのは似合わねェ。ま、こんなカクテルも似合わねェ気はするけどな。


グラスに添えられたストローと格闘している男をチラリと見てサンジは小さく笑いを漏らした。


そんな二人を何故かエースが面白そうに眺めていたが、サンジはそれに気付かずにいた。




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