魔法のみず   + Scene 5 +




目の前に出されたカクテルを眺め、どのくらいぼんやりしていただろう…。
グラスを弄んでいるうちに、掌が水滴で濡れてしまった。

「はい、どうぞ」

目の前にいた男がお絞りを差し出した。


先ほどから気になっていた。
この雀斑が特徴的な男、前回来た時にはいなかった筈だ。
先ほどのやり取りから、あの金髪とはただの従業員の間柄ではないような雰囲気があった。

なんとなく気に入らない。

そんな第一印象を持った。



「カクテル、温くなっちまったんじゃないかな?
 作り直します?」
向こうはこっちの思惑などまるで解することなく、人懐っこい表情を向ける。
「いや、構わない」
そう言って、一息で飲み干す。

とても酒と呼べるようなもんじゃない、というのが感想だった。
どうしてこう、カクテルってのは清涼飲料水のように甘いだけなんだ…。

それが顔に出ていたのだろう。
ゾロの様子を伺っていた雀斑男が、ニヤニヤしながら声を掛けてきた。
「もう一杯、何か作ろうか?」
「あ…、あぁ…」
「もう、カクテルはいい?」
あいつが作ったものならと頼んでみたのだったが…。

頭を廻らして金髪を目で探した。
「あー、サンジ?
 今、ちょっと奥の厨房へ行ってるんだ。
 じゃ、カクテルじゃなくて、繋ぎにスコッチでも如何?」
「頼む…」
「はい。お待ちください」
最後の言葉だけ慇懃に、口元に笑いを貼り付けたまま、雀斑はグラスを用意した。


その男はよほど話好きらしく、氷を削りながら、尚も話しかけてきた。
「お客さん、俺とどっかで会ったことある?」
ゾロにはとんと覚えがなかった。
「いや」
「そっかなー。
 どっかで見た顔してんだよなー」
ぶつぶつと独り言のようなつぶやきを続けながら、手は忙しなく動いている。

こいつ、男にもこんな気の惹き方をするのか…。

ゾロはあり得ない考えをしていることに気づき、頭を二三度ぶんぶんと振った。
「どうかした?」
「なんでもねぇ」
「どうぞv」
ゾロの前に琥珀色のグラスがセットされた。

何気なく酒を口に含んでいるところで、雀斑男は突然大声を出した。

「あー! 分かった!!」
「っぶ!」
「あ、悪ぃ悪ぃ」
「なんだ?!」
「あんた、ロロノア・ゾロだろ?」
「…何故知っている?」
「やっぱなv
 剣道学生チャンピオン、日本選手権3連覇、世界大会連続出場。
 こんな快挙成し遂げといて、あっさり引退しちまった、孤高の剣士!
 俺さ、ずっと応援してたんだぜ」

あぁ、そうだったか…。
たまにこういう輩がいることがある。
ゾロの過去の功績を覚えていて、こちらのことなどお構いなしに盛り上がる奴。


はっきり言ってそんな昔のことなど、ゾロにとってはどうでもいいことだった。

剣を捨てたわけではない。
今でも稽古は自分の生活の一部である。
だが、自分の剣を他人と競う道具にしなくなったのだ。
人を打ち負かしそれが何だというのだ。
自分の剣を磨くということは、もっと違うことのような気がする…。
そんな思いが芽生えた時、ゾロはきっぱりとそういった大会への参加を辞めていた。
周りにどんなに諭されようと揶揄されようと、あれ以来、二度とゾロは大会という名の場所に近づくことはなかった。
それが世間的に引退と呼ばれることなど考えもしなかったし、それがなんだというくらいにしか考えていなかったのだ。

実際引退と騒がれようとゾロの剣に対する気持ちは変わらない。
自分の剣を磨くこと。
だが、それだけで良いのかという思いは今も常に持ち合わせている。
これは一生の己の標かもしれなかった。


こんな場所で、こんな軟弱そうに見える奴から、当時の功績を述べられるとは思ってはいなかった。

面倒だな…。

「なぁ! なんで引退しちまったんだ?
 故障でもしたのか?」

ほら、お決まりの質問だ。

「俺もな、武道やってたんだぜ」
「ほぉ」
「一度どっかの大会で、あんたともすれ違ったりしてるんだよ。
 俺も結構強かったんだけど、俺の弟がさ、更に強くなりやがって、それまで一度も負けたことなかった俺から、綺麗に一本とりやがった。
 ショックでさぁ〜。
 そんで引退。
 いや、俺はね、色々と他にもできること一杯あったからさ、不器用な弟にそっちは任せたっていうか、譲ってやったっていうか…。
 あ、あんた飲むの早いね。
 もう一杯作る?」
「あぁ」

ゾロの心中が分かった訳ではないだろうが、もう話題はその男自身の話に移ったようだ。
さり気ない心遣いのようなものも感じられて、ゾロはこの雀斑男に興味を持った。

「はいよ。
 あんたイケる口だね」
「ゾロでいい」
「いいのか?
 じゃ、ゾロ。俺はエースだ。
 その昔、柔術界にこの人ありと謳われた、ポートガス・D・エースってのはぁ俺のことだ」

芝居がかった見栄を切る真似までして、ゾロの笑いを誘っていた。

悪くない気分だった。
ゾロは当初の目的もすっかり忘れて、エースの話に付き合っていた。


「ゾロはちゃんと勤めてるんだろ?
 大変じゃね?
 俺はぁそういうの苦手だなー。
 嫌な相手とかにも頭下げるわけだろ?」
「それが仕事だ」
「はぁ〜、人間できてるねぇ。
 俺は無理!」
「働かねえと食っていけねえぞ」
「それは分かってるよv
 好きなことして金稼ぐのが今の目標。
 この店は忙しい時だけの助っ人バイトなんだ。
 他にもいくつか掛け持ちしてんだ。
 ホントはずっとここでバイトでもいいのにさー。
 サンジの奴、あれで結構しっかりしてやがるから。
 あ、サンジってのはさっきの奴。
 若いけど、立派なここのマスターなんだぜ」
「へぇ」
「本当は料理の修業とかちゃんとやっててさ、そっちでも十分にやっていけるんだ。
 あいつの料理は絶品なんだよー。
 ここじゃあ、あんまり食事する客がいねえから、せっかくの腕が勿体ねーよなー。
 なー、そう思わね?」
「……、俺は食ってねえから…」
「そっかー、そうだったなー。
 あ、じゃあさ、ゾロ。
 メシ食ったか?」
「ああ、まぁ…」
「でもきっとサンジの料理ならまだ食えるはずだ。
 注文しとこうか?
 いや、あれだな。
 俺の賄い、味見させてやろうっか?
 うん。そうしよう。
 今さ、厨房で作ってくれてるんだよ。
 へへ…、役得。
 これがあるからこのバイトが一番辞められねえんだなー」
そう言って、エースはもうゾロに聞きもしないでお代わりを注いでいた。
「ね、一つ聞いていい?」
「なんだ?」
「この店のジンクスとかって聞いた?」
「ああ」
「へぇー?」
「それがどうした」
「いや、それなのになんでゾロは一人でここへ来たのかなーってさ」
ゾロは漸く当初の目的を思い出していた。
しかし、どう表現していいか分からなかったし、まして、エースになど打ち明けられる内容ではなかったから、視線をエースから離し、カウンターの奥へと泳がせた。


「おい、エース!!」
「おおぅ! やっと戻ってきたか!」
「お前、お客様に何絡んでんだ!」
「や、絡むだなんて人聞き悪い。
 なぁ、ゾロ。
 俺達、ただ静かに会話してただけだよなぁ〜v」
「お前! お客様を友達扱いして!!
 申し訳ありません。
 十分に教育しなおしますので、どうかお許しください」
深々と頭を下げるサンジと、その隣で頭を押さえつけられているエースのつむじを見ているうちに、ゾロは大きな声で笑っていた。
「ちょっと、マジなんだってば!
 なんとか言ってくれよ、ゾロ」
「本当に友人なのか?」
「あ、今、オトモダチになった」
「それが馴れ馴れしいって言ってんだ!」
「だってさぁ、こいつ…」
「こいつだなんて気安過ぎんだよ!」
更に頭に拳骨を落とされている。
「いててて…いや、このお客様は、ロロノア・ゾロっていって、俺が柔道やってた時にすんげー活躍してたんだよ。
 そんで色々話が弾んで…」
「本当ですか?」
「ああ、そいつの言う通りだ」
「でも、貴方が困っているように見えたもので…」
「なんでもねえよ」
「そうそう。
 なんでもないんだよぉ、サンジぃ」
「お客様の前で甘えるんじゃねー!」



柔術の雄と言われた割には、あっけなく細身の金髪――サンジの蹴りをまともに食らったエースに、ゾロは思わず破顔していた。




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