魔法のみず   + Scene 7 +




「次も同じもので?」
手元の空いたグラスにちらりと目を走らせている。

「その前に少し確かめてえことがある」
「???」

目の前の男の話を聞くうちに、今日の来店の本当の意味を自ら悟ったゾロは、蒼い二つの瞳を覗き込み注文した。
「ちょっと手ぇ、出せ」
サンジは頭の中で疑問を膨らませているようで、怪訝な表情のまま手のひらを向けてゾロの目の前に翳した。


白い肌。
シャツを肘までたくし上げ、きめの細かい腕の内側に目を奪われる。
長い指。
すんなりと形良く、誘われるように手が伸びる。

考えるより先に、両の手で包み込むように掴んでいた。

想像通りのひんやりとした感触。
見かけよりしっかりと骨ばっているのが、同性であることを主張しているようだった。

――手を握って、じっと目をのぞいてみる…。

確かウソップはそんなことを言っていた。
自分の体温を移し与えるように、そのまま暫くゾロはサンジの手を握っていた。

「何だよ」
見つめる瞳は困惑の色を浮かべていた。

知らずに上がる体温が何かを伝えている。
感じたことのない胸のリズムに気分が高揚していた。

「だから、何?!」
焦れた様子のサンジが、空いている方の手で腕を叩いてくる。
我に返り漸くサンジを解放してやった。

二人の間を気まずい空気が流れていた。

「なぁ〜にぃ〜。
 どうかしの〜?」
客を送り出す為に席を外していたエースが戻ってきた。
敏感に空気を読み、訝しげに二人を交互に見やる。

「な、なんでもねぇよ」
ゾロに握り込まれていた手を擦りながら今度はサンジがカウンターを外した。

ゾロは無関心を装っていた。
しかし胸中は激しく動揺していたのだ。

この胸を騒がしているのはたぶんアレだ。
いくら鈍感なゾロとてその正体は分かる。
これがウソップの言ってた劣情か…。

目の前に食いたいものがあれば食う。
ゾロの中に何かが一気に満ち溢れてきた。

「な、サンジとなんかあった?」
「ん、あぁ…」
「目ぇつけんの早ぇな、ゾロ。
 でも、駄目だかんな。
 あいつは根っからの女好き。
 俺が何度粉かけてもちーっとも反応ねぇしさ。
 悪いこと言わねぇから、今のうちに諦めろ」
「嫌だ」
「はぁ?
 俺が親切に言ってやってんのに…。
 ま、せいぜい玉砕覚悟で頑張れよ。
 お手並み拝見ってとこだな」
「お前も…そうなのか?」
「だったら?」

挑発的に薄ら笑いを浮かべるエースと敵に対峙したかのようにそれを睨み付けるゾロ。
店のどこにいてもその不穏な空気が流れ届いていた。

「おい! エース!!」
エントランスからサンジが呼んでいた。
「もう閉店にするから表の看板、中に入れてきてくれ!」

「はいよ」
エースは視線をついと逸らしてサンジへ笑顔を向けていた。
「新参者は分が悪ぃなぁ〜」
ゾロの傍らをすぎる時、余計なひと言を残してエースは店の外へ消えていった。

むかむかする気持ちを抑え込み、今日のところはこのまま帰ることにしようとゾロは席を立った。

キャッシャーでサンジは心配そうにゾロの表情を読んでいた。
「エースが何かしたか?」
「いや、なんでもねえ」
「そうか? ならいいけど…。
 また、あん時のレディでも連れて来いよな。
 とびっきりのでもてなしてやるからな」
「お前は…」
「ん?」
「お前はそうやって酒作ってやる女いるのか?」
「?? ここに来てくれる全てのレディをもてなすのが仕事だけど?」
「そうじゃねえ…。
 ――もういい!」
サンジにじっと見つめられていることに耐えきれず、ゾロは掴んだ札をサンジに押しつけた。
「なんだよ、急に…。
 変な奴だな、あんた」
「メシ、旨かった。
 また食いにくる」
「ここは飯屋じゃねぇんだけどな。
 ま、食いてぇって言う奴には食わせる主義なんでね。
 いつでも歓迎するぜ」
「食いてぇ奴には食わすのか、お前は」
「へ?」
ゾロはじりっとにじり寄った。
サンジは無防備にもキャッシャーカウンターを背にゾロをぼんやりと見つめていた。

すっと足を踏み出し、サンジとの間合いを詰め、ゾロの左腕は華奢な腰に回されていた。
右手を金髪に差し入れ、頬と頬を合わせるほどに抱きしめた。

確かに見かけ通り細い体躯だった。
でもそれは女のそれとも違って、存在感のある立派な男の身体だった。
鼻を擽るのはカクテルの香りか、もとからの匂いか…。
ゾロは胸一杯に吸い込んでいた。

「ちょっ、何すんだ! 離せ!!」
腕の中のサンジが硬直を解いたのを合図に、ゾロはサンジを解放した。
丁度サンジが声を発したのと、エースが店内に戻ったのが同時だった。

「サンジ?」
「じゃ、また来る」
「あ、ゾロ! 帰んのか?
 またなー」
ゾロを送り出したエースがサンジを振り向いた。
「どうした? あいつに何かされたんじゃねえのか?」
「いや、なんでもねぇ。
 さ、あとはキャッシャー閉めちまうだけだから、お前は上がっていいぞ」
「うん…。
 ホントに、大丈夫か? サンジ」
「うっせーって。なんにもねぇよ」

エースが帰り支度を整え店を出るまで、サンジはエースの顔をまともに見ることはなかった。





珍しくゾロの方から呼び出しがあった。

昼休み、人気のない会議室へ行くと窓際に立って何かを夢中で見ているゾロがいた。
「おっす」
「おぅ、ウソップ。遅えぞ」
「遅いってまだ12時を何分も過ぎてねえぞ」
再び視線を窓の外に移したゾロは何も言わなかった。
「なぁ、なんだよ。こんな所に呼び出しやがって」
「……ん」
「どうしたんだよ。
 俺も忙しいんだ。昼飯も食ってねえし。
 用があるなら早くしてくれよ」
「…あぁ」
「あー、彼女のことか?
 いよいよってことかよ。
 なんだ? 自慢か?
 ちくしょー! そんなもん聞きたくねえぞ。
 けどなー、俺様は心のでっかい人間だ。
 なんせ部下800人に慕われる男だからな。
 よし、聞いてやる。
 お前は長い付き合いだ。特別だぞ。
 さ、言ってみろ。
 言いたくって仕方ねえんだろ?
 分かる分かる、その気持ち…」
「うるせーぞ、黙ってろ」
「はぁ? それはどういう意味なのかなー。
 お前、今日はいつにも増して変だぞ」
「変かもしれん」
「へぇ?!
 自覚があんのかよ。
 ……なぁ、マジなんかあったのか?」
「手を握って目ぇ見りゃ自分の気持ちが分かるって言ったな」
「あぁ? あー、この前の。
 うんうん。言ったな。
 そんでやってみたのか?
 どうだったんだ?」
「ヤリてえって思った」
「だろ?
 そりゃ健全な成人男子なら正直な欲望だ。
 間違っちゃいねぇぞ、ゾロ」
「間違っちゃいねえのか」
「そうだな。
 んで? まさか強引なことしてねえだろうな?」
「抱きしめた」
「ほぇ?!!
 やっぱお前野獣だわ。
 そんなことしたら相手は驚くてぇの。
 いつもみてえに引かれるぞ」
「そうか…」
「そうだよ。
 ホント駄目だな〜、お前って奴は。
 いくらお前の気持ちがハッキリしたからって、最初っからガッツいちゃ駄目だ。
 なんて言うかなぁ〜。
 こう、少しずつ距離を縮めていってだな、相手の瞳の中にもお前を欲しいって色を確認してからだ、実際行動を起こすのは。
 それまでは『忍』の一字だぞ。
 今のお前と同じくらいに相手の気持ちを高めてから、ことにあたれ。
 それまでは絶対に無理強いはいけねえ。
 いいか、ゾロ。分かったか?」
「ああ…」
「大丈夫か? 納得してねえだろ」
「どうすりゃいいんだ」
「そうだな…。
 まずはムードだな。
 雰囲気のある店で意味ありげなカクテル…って早い話がこの前行った店のマスターにでも応援してもらえ。
 女ってのはあーゆーのに弱いんだよ」
「あれは女いんのか?」
「あれ? マスター?
 知るかよ。
 でも、いるんじゃねーの?
 あんな手練手管身につけて、人様の為だけに使うかよ。
 俺があいつなら、手当たり次第だな」

うんうんと一人納得しているウソップの前で、ゾロは火の出そうな程強い視線で中空を睨んでいた。

「っと、もう話は終わりかなー?
 じゃ、俺は昼飯に行くけど、お前はどうする?」
及び腰でウソップが部屋を出て行こうとすると、ゾロが呼び止めた。
「な、なんだよ、まだ何かあるのか?」
「サンキュ」
「へ?」

そうしてまた背中を向け、窓の外へと視線を向けていた。
そんなゾロに怯えたウソップは、静かに静かに扉に近づき、素早く廊下へと走り出た。


「気持ちを高める…か」

何やら思いついたのか、ぱっと顔を上げると、ゾロも急いで会議室を後にした。
その後、自分のデスクのパソコンに齧り付き、何やら調べものをしたらしいことは和やかな昼食時間を過ごしていた者達には知るよしもなかった。





数日後。
サンジの店にゾロはいた。

何やら思惑を抱えて座っていた男は営業の顔で接客してきた想い人に用意してきた言葉を告げた。



「シャンパン・カクテルを…」




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