魔法のみず   + Scene 8 +




──そりゃ、また…。


似合わない。もう、壊滅的に似合わない。
サンジは思わずぷっと小さく噴出してしまった。

目の前の男が不機嫌そうになる。

「んだよ?」
「え、いえ、別に?何でもありません」

咄嗟に誤魔化したが男の眉間の皺は深くなるばかり。

「その喋り方、やめろっつったろ。嫌味ったらしい」
「くくくっ…。じゃあ、フツーに」
「おぅ」

どうにか無理矢理笑いを引っ込めて、それでも声にはどうしても揶揄するような色が出てしまうが仕方ないだろう。
それほどまでに目の前の男─ゾロが頼んだ物はサンジにとっては意外すぎた。

「で?ボガート、気取ってどうすんの?」

【シャンパン・カクテル】
それは、映画の中でボガートが『君の瞳に乾杯』と言って捧げ持ったカクテルとして余りに有名だ。
まさかこの男が。似合わないし、知っているのさえ意外だが一応突っ込んでおく。

案の定、黙り込んでしまった。
ここで誤魔化すとか言う事が出来るほど器用な男ではないらしい。

「そーゆーのは彼女と来た時にやれよ」
「…お前に、やってんだが」

思わぬ切り替えしにサンジはきょとんとしてしまった。
どうやら、意味のある行動だったらしい。
エースと言いこの男と言い、何を考えているのか。

「?……ま、いいや」

深く考えずグラスにキューブ・シュガーを入れる。アンゴスチュラ・ビターズを振りかけ、冷やしたシャンパンで満たし最後にレモン・ピールを絞る。
頼んだ相手が女の子ならオレンジやレモンのスライスを飾るのだが、この男相手ならそんな飾り気は必要ないだろう。
勝手に判断して、グラスを差し出した。
チラッと目線をグラスに落とし余韻もクソも無く飲み干す。

「で?」
「は?」
「お前はどう、返す?」

何がしたいのか良く分からない。
サンジは一応客だと言う事を一瞬忘れ、深々と溜め息を吐いてしまった。
しかし、そんな態度にも我関せずゾロはただジッとサンジの動向を窺っているようだ。

「そうだな…」

サンジが取り出したのはワイングラス。
これも似合わねェな、と思いつつオレンジジュースを入れたグラスをシャンパンで満たす。

「ミモザ」

差し出せばゾロの頭の上には3つくらいクエスチョンマークが並んでいるような顔をしていた。

「…ミモザの花言葉は “友情” だ」

小さく笑いながら付け加えてやった。


──ま、その他にも色々あるんだけどな。


真実の愛、だとか秘めた恋だとか。
だが、エースならともかくこの男ならそこまで見抜けそうに無いので余計な事は言わない。

「って言うか」
「あ?」

可愛らしい黄色のカクテルを手にしたゾロが余りにも不釣合いで。
笑いを堪えながら種明かしをしてやる。

「最初にシャンパン開けたろ?一本、飲んでしまわないと無駄になるからよ。それにしただけだ」
「…じゃあ」
「別にまだお友達でもないもんな」

何だかむぅと口をへの字に下げて黙ってしまった。
そんなゾロの態度には触れずサンジはボトルを示して言葉を続けた。

「って事で。シャンパンベース、もちっと飲んどけ」





次に差し出したグラスは漆黒のカクテルで満たされている。

「…これは?」

色が珍しかったのか片眉を挙げ尋ねるゾロににやりと笑って答える。

「ブラック・レイン」
「…」
「ハードボイルド気取るならこっちの方が似合ってんじゃねェ?」

映画【カサブランカ】は知らなくても【ブラック・レイン】なら名前ぐらい知ってるだろうと思い、そう揶揄するように言ってやる。
厳密に言えば“黒い雨”の意味する所はハードボイルドでもなんでもないのだが。
まぁ、そこまで深い意味は無い。

「まだ、シャンパン残ってるのか?」
「ん?あぁ、あと、3杯くらいは作れるんじゃないか?」
「なら、お前も飲め。…次に行けねェ」

最後の一言の意味は分からないが、その申し出は嬉しい。
今日は客の数もそう多くないし。

「おぅ。頂こうかな」
「あぁ」

その時には既に漆黒のカクテルは飲み干されていた。
ペースの速さに舌を巻きながらもサンジは片手にシャンパン、もう片手にはスタウトを掴む。
同時にグラスに注げば深みのあるブラウンに仕上がった。

「じゃ…ブラック・ベルベット」

お前は?とでも言いたげにグラスを受け取ってサンジに視線を寄越す。
その視線を感じながら軽くステアして出来上がったのは綺麗な紅。

「俺、ディナー前なんでな」
「?」
「食前酒から行かせて貰う」
「へぇ」
「キール・アンペリアルだ」

乾杯の代わりに軽くグラスを掲げて見せて、口をつける。
何故か視線を逸らさないゾロを目の端に入れて。

「…シャンパンはもう終わったか?」
「ん?あぁ、終わりだな」

どうやら何か頼みたい物があるらしい。

「で、何?」
「シェリーを」

思いも寄らぬ一言に、目をぱちくりさせて聞き返す。
シェリーとは白ワインの一種だ。
一本、丸々をまた飲むつもりか。
シェリーを使ったカクテルって事か?とサンジは首を捻りながら確認する。

「シェリー?」
「あぁ」
「シェリーだけ?」
「あぁ」

その返事に何だか嫌な予感がする。
サンジの見ていた限り、ワインよりウィスキーやブランデー、ラムやテキーラをそのまま、と言う飲み方の方が好きそうなのに。
もしかしてゾロもエースと同じ事をしているのだろうか?


──いやいや、まさかそんなつもりじゃねェだろ、しかも間違ってるしな。


と思いつつも尋ねてみる。
念の為。

「ん〜と、誰が飲むんだ?」
「俺」
「や、お前に飲まれてもな。女の子になら飲みたいって言って貰いてェけど」

裏に込められているかもしれない意味などさらりとかわして。
大体、男に『今夜一緒に寝てもいい』なんて言われても困る。
しかも何で上からの物言いなんだ。
態度や顔には全く出さずブツブツ呟いていたが、深い意味は無いのだろうと自分に言い聞かせた。
しかし、これを他所で女の子相手にやったら笑われるだろうな、と思い少し説教じみた事を呟いてしまった。

「ま、いいや。もちっと勉強して来いよ」
「あ?」
「カクテルの事」

それだけ言って気を取り直したサンジはシェリーを取ろうとカウンターに背を向けた。
苦虫を噛み潰したようなゾロの表情には気付かずに。




この男なら辛口のフィノがいいだろうと見繕って出してやる。
すっきりとした飲み口が案外気に入ったようだ。
旨そうに飲んでいるのを確認してサンジは満足気に微笑んだ。

しかし、それもほんの一瞬の事で。

ゾロの訳の分からない言動が続いた事にサンジは少々イラついていた。
口説き文句代わりにカクテルを使うのはいい。良くある話だ。
だが、余りにも不勉強すぎやしないか。
付け焼刃が見え見えだ。

「お前ェも飲むか?」
「…あぁ、じゃあ貰う」

サンジのイラつきなど全く気付いていないゾロは脳天気にもシェリーを勧めてくる。
グラスを出してきたサンジは自らシェリーを注ぎながらふと、思いついてゾロに言った。

「おい、一杯カクテル出してやる」
「あ?」
「ま、待ってろ」

今なら甘口を出してもシェリーで勝手に口直しするだろう、なんてバーテンダーにはあるまじき考えを頭に浮かべながらカクテルグラスにシェイクした材料を注ぐ。
ゾロの前に差し出したのは、綺麗なオレンジ色のカクテル。
物問いた気な視線に答えてサンジはカクテルの名前を告げる。

「アイ・オープナー」
「は?」
「寝惚けてんな、目ェ覚ませ、ってこった」

そう言った時、ゾロの眉根に皺が寄り、バツの悪そうなムッとしたような顔になったのを見てサンジは溜飲を下げた。




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