魔法のみず   + Scene 9 +




「はぁ〜」

ゾロにはもう、なんだか分からなくなってきた。


遠回しに誘う?
それってどんなだ?
どういう意味があるんだ?
食いたいものを食いたいと言って何が悪い。
遠回しにしたところで、ヤるこたぁ一緒じゃねえか。


物騒な心境になっていた。

少しずつ距離を縮めていくって、どうしたらいいんだ…?
まだ、『友達』でもないと言われた。

今はここにいない友人に悪態をつき、空になったグラスを睨み付けていた。

「酔っちまったか?」
心配そうに目の前の男は話しかける。
「こんなもんで酔うか…」
力無く答えるが、万策尽きたという思いはゾロの心を重くしていた。

「なんか元気ねぇじゃん」
「気のせいだ」
「そうかなー」

手元のグラスを拭きながら、窺うような視線を寄越しているのを無視する。

一体これから、どうしてきゃいいんだ。

ゾロの悩みは続いていた。



「あ…、飯は? 食ってきたか?」
「いや。今日はまっすぐここに来た」
「あぁ?! 空きっ腹で何がぶがぶ呑んでんだ。
 ちょっと待ってろ。
 今なんか作ってきてやる」

サンジはウェイターを呼びつけると、今までいた場所に交代をさせ、自分は奥へと引っ込んでしまった。

サンジに言われ、腹が減っていることにやっと気づいた。

そういや最近、空腹をあまり感じない。
ゾロの飢えは腹でなく、あらぬところに寄せられていたから…。
きっと空腹を満たしても、満足することはないんだろう。

漠然と予感がする。
ここでいくら粘ったとて、果たして望みはあるのかどうか。
この飢えが満たされる日はくるのか。

今まで恋愛に心動かされることなく生きてきた為に、ゾロはこの自分の感情に追いつくことができない。
頼ったことなどなかったが、神にでも祈りたい心境であった。



店内は、平日の為かこの前ほど客席は埋まっていなかった。
しかし、目に入ってくるのは楽しげに顔を寄せ合うカップルばかりである。
以前は気にもとめなかった他人の様子がやけに今は目につく。

傍らに存在のある喜び…。

そんなものを味わってみたいとゾロは本気で考えていた。



「大丈夫か?」
いつの間にか目の前にサンジが戻ってきていた。
「おぁ?…」
「どっか悪いのか?」
「別に」
「そっか。…ほらよ」

コツンと目の前に置かれたのは丼だった。
はっと顔を上げると、サンジのはにかんだような表情に出くわした。
「和食系が好きなんじゃないかってさ。
 あ、別に用意してあった訳じゃないぞ。
 たまたま冷蔵庫にあったあり合わせで作ったんだ。
 早く食えよ」

添えられた小鉢には醤油のようなタレが入っている。
それを丼にぐるりと回しかけ、どうぞと手で示された。
白い形を微妙に残しているのは、豆腐のようだ。
何種類もの薬味はゾロには判別できなかったが、崩した豆腐と混ぜ合わせ、先ほどのタレを絡ませるとその香りに思わず涎がこぼれそうになった。

「いただきます」

一口、口に入れると更に胃が刺激され、次から次へと箸が進む。
白飯には青紫蘇と焼いた鮭が混ぜ込まれており、どれをとってもゾロの好みの味だ。
口一杯に頬張り、咀嚼する間は味覚が全ての感覚を支配していた。
あっという間に器を空にし、箸を納めてから両手を合わせた。

「ごちそうさま」

カウンターの気配に気づき、上目遣いでそっと見た。
サンジは動きを止めてじっとこちらを見ている。
何を考えているのか全く分からなかったが、ゾロを見ているのは確かだ。
その表情の意味するところは、驚愕か困惑か。
ゾロには判別できなかった。

その時、隣の席から声がかかった。
「あの…、ここは食事もできるんですか?」
ゾロの前の丼を指差し、サンジへと問いかけている。
はっとした表情を見せたのは一瞬で、すぐに女に向けられる不愉快な笑顔を顔に張り付かせ、女の元へ場所を移した。

ゾロは面白くない気持ちを眉間に表しながら、その様子をなんとはなしに見ていた。



「…ウソップ?」
「ぅげっ! なんでお前がここにいんだよ!!」
「お前こそ何してんだ?」

友人の鼻の長い男は、見慣れない女連れであった。
しかもどう見ても怪しいまでに慌てている。

「あ、最初にここへ来た時、一緒だったっけ?」
サンジがゾロに声をかける。
「ああ」
僅かな表情の変化だったが、サンジにもウソップの隣の女がこの前と違うことが分かったようだ。

「ま、待て。早合点するな」
「何がだ?」
「あーっと、えっとだなー。
 このこの娘は同じ課のまりのちゃんだ。
 前っから一度この店にきてみたいって言うから、連れてきただけなんだ」
「言い訳か?」
「早まるな、ロロノアくん。
 これには深〜い訳があるんだ。
 いや、別に訳なんてねえ!
 断じて、お前らが考えてるようなことはねえ!!」

言い終わった時には、ウソップはぜいぜいと肩で呼吸するほど興奮していた。

「大丈夫だ。他言はしねえ」
「って、そうじゃなくて!」
「ゾロ、その辺にしといてやれ。
 レディに失礼だぞ」
「あぁ」
「ちょっと待てー!!」
「レディ、申し訳ありません。
 こっちのは俺の友人だもので…。
 賄いを出してやったんです。
 ご注文はメニューの中からお選び頂けますか?」
「はい…」

それだけ言って、またゾロの目の前へ戻ってきた。
ウソップはまだ何やら言い訳がましいことを言っていたようだが、ゾロの耳に届きはしなかった。

先ほどウソップの連れに『友人』と説明したのは俺のことか…?

体中の血管が音を立てて激しく動いている。
聞き間違いとは思えない、あまりにはっきりと耳に残っている。
惚けているゾロに更に追い打ちのようにサンジの笑顔が近づいてきた。

「お前、なんて顔してんだ?」
すっと伸びた片手がゾロの口元へ届く。
戻される指の先には飯粒が付いていた。
無意識なのか、それをぺろりと舐めとっている。
ゾロは頭にカッと血が上るのが分かった。
硬直し、握った拳がわなわなと震えている。
凹み気味だった気持ちが急浮上していることも初めての経験である。
普段感情の起伏の少ないゾロはこの現状に対処の方法を持たなかった。



丼も片づけられ、知らぬ間に置かれていた酒に口を付けていると、後ろからウソップに肩を叩かれた。
「ゾロ!」
「あ? なんだ?」
「ちょっと顔貸せ」
「あぁ? もう帰んのか?」
「そうだよ。お前もな」
「なんでだ」
「いいから」

ウソップはゾロを引っ立て、ずるずるとキャッシャーへと引きずっていく。
未だ刺激にやられたままのゾロはそのまま勘定を済ませ、サンジの店を出ていった。



「まりのちゃん、悪いけどここでいいかな?」
「えぇ。今日はありがとうございました。
 ロロノアさん、様子が変ですけど、大丈夫ですか?」
「あぁ〜、これね。
 ちょっと病気っぽい…。
 俺が送ってってやるから心配ないよ」
「そうですか。
 じゃ、また明日会社で」
「おぅ。悪いね、送っていけなくて」
「私こそ大丈夫ですよ。
 彼女でもないのに、送って頂いては悪いですから」
「ホント、悪いね」
「では、私はこれで…」

二人に手を振って改札へ彼女が消えたのを確認すると、ウソップはゾロを人気のない場所へ誘導した。
「ゾロ、確認しておきてえことがある」
「なんだ?」
「お前、彼女はどうした?」
「彼女? …ん、あいつか」
「あいつか…じゃねえよ!
 お前ら、うまくいってたんじゃねえのかよ!」
「何が?」
「この前、会議室で自分で言ってたろ。
 そろそろ…って、なんだぁ、…そういう時期だって話!」
「? そんなこと言ってねえぞ」
「はぁぁぁぁあ?!
 待て、待て待て待て!
 この前、俺と会議室で話したよな?」
「ああ」
「あん時話したこと覚えてるか?」
「馬鹿にすんな」
「お前、彼女の手握って確かめたってそう言ったな?」
「……?
 違うぞ」
「おい、おいおい!
 じゃあ、誰の手握ったっていうんだよ!」
「さっきの…、店の奴だ」
「………。
 ゾロくん。いや、そっちも聞きてえとこだったんだけどよ。
 お前、いつからあのマスターとダチになったんだ?
 ダチっていうか、なんか妙な雰囲気じゃねえか。
 あんま聞きたくねえんだけどよ、お前のヤりたい相手ってもしかして…」
「あいつだ」
「げげっー!」
「遠回しに口説くってどういうんだ?
 色々やったがうまくいかねえ。
 カクテルだなんて、あんな七面倒くせえ真似できるか」
「ゾロ…。
 もう俺はお前に何も言ってやれねえ。
 なるようになる。
 お前はお前の信じた道を進め。
 今夜はもう帰らせてもらうよ…」
「おぃ、ウソップ?!」
「じゃあなー」

「なんだ自分で言い出しといて。
 最後まで責任持てってんだ」

項垂れたウソップの心中はゾロに届くはずもなかった。



ウソップと別れ、先ほどより幾分正気に返っていたゾロだったが、口元のサンジが触れた場所に自分の手を重ねると思い出し笑いを抑えることができない。

往来のど真ん中で顎をさすりながら、ニヤニヤと不気味に笑っている男は、通り過ぎる全ての者を怯えさせていた。




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ウソまり登場〜!(笑)
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